21歳アイマスP、うつ病になる
突然ですがみなさんはうつ病と聞くとどんなイメージを持たれるでしょうか?
冒頭から何を言っているんだとお思いかもしれませんが、一度考えてみてほしいです。
まぁメンタルの不調であったり、精神的におかしくなるであったり、人によっては甘えみたいにとらえる方もいるかもしれません。
コロナ禍や物価高騰、SNSの普及によるインターネットトラブルの増加。
現代の日本はいろんなものが新しくなったり形を変えていくなかで、社会問題が依然としてはびこっています。
そしてそんないろんな問題の中で、近年うつ病をはじめとしたメンタル不調が国内で急増しているのもまた事実でございます。
もしかしたらニュース等で散々報道されているのでなんとなく「あぁ増えてるんだなぁ」と認識している方も多いかもしれませんね。
そんな現代病としてかなりポピュラーになりつつあるうつ病という病気。
いやー...まさか自分がそれを患うとは全く思っていませんでした。本当に。1ミリも。1年前の自分に言っても50000%信じないと思う。(そんなに?)
自分というのはあれです。このブログを書いている僕のことです。
さて、前置きが長くなりましたが今回はタイトルにもある通りうつ病という病気を抱えてしまった21歳のオタクである僕、しふぉんがこの病気を経験して何を思って何を感じたのかをつらつらと書いていけたらと思っています。
アイマスPとタイトルに書かせていただいたのも、趣味を通して感じたことが多々あったからです。併せて語っていけたらと思います。
このブログでは、いろんな要因があって仕事と趣味への取り組み方で苦労した僕の話を蛇足ばかりの文章で書かせていただこうと思っています。
読んでいて決して楽しい文になるとは思えませんが、自分なりに面白おかしく書いていく所存ですので「こんなオタクもおるんやなぁ」くらいのテンション感で読んでいただけると幸いです。
またこれはエゴなのですが...同じような感覚を持っていたり、同じような悩みを持っている方にとってはある意味参考にはなるのではないかとも正直思って居たりはします。
人生においてこのような言葉を意識された方には少し響くんじゃないかと...。
まぁそもそもこんな自己啓発みたいなタイトルでメンタリズム的なサムシングの真似事をしている時点でエゴイズム5億%くらいの動機でやってるようなもんですよ(極端)
しかも投稿場所がツイッターの時点でみたいなとこあるでしょ(マジで卑屈じゃん)(ツイッターに謝れ)
まぁ肩の荷おろりして、緩急つけてできるだけいい文章書けるように頑張ります。(ここで宣言するの?)
それではもくじと本編です。どうぞ。
自己紹介
ここで簡素ですが僕というオタクの自己紹介をさせていただきます。
名前はしふぉんです。いずさんという別名もあります。
大体Twitterランドで絵描いたりオタクして遊んでいます。よかったらフォローしてツイートとイラストとか見てやってください。作品の感想とかいただくと嬉しくて飛んだり跳ねたりします。動物かな?
年齢21歳(2022年10月現在)。社会人。小4の頃周りに逆張りしてジャンプではなくガンガンを買い始め鋼の錬金術師やソウルイーターなどの作品を知りオタク側の世界にやってきました。
色褪せない名作であり僕の原点です。読んでない方はぜひ...。
生まれは2000年の世代、いわゆるミレニアムベイビーと呼ばれる世代です。プレ2世代と言われたりもします(死語)
2001年の早生まれなので歳を取るのは周りより遅いですが...。
リアルでは特に何の変哲もない平社員をやっています。(現在は休職中ですが^q^)
そこそこでかい輸送機器メーカーの工場勤務です。
交代勤務があったりなかったり。
高卒でそのまま入社したので今年で4年目になりますね。
まだまだ若手の新人です。
オタクとしてはもう長いこといろんなものに触れてきていろんなものを好きになってきましたが、1つ自分のメインコンテンツとして高1の頃から追っているのがアイドルマスターです。
そう考えるともうかれこれ追い始めて7年目になるんですね...。
すっかり一緒に人生を歩んできています。
一口にアイマスといってもその中に5ブランドあることは知ってる人もいたりいなかったりすると思いますが、僕はそのうちのアイドルマスターミリオンライブ!というコンテンツを主軸にずっと追いかけています。(以下ミリオンライブと書かせていただきます)
millionlive-theaterdays.idolmaster-official.jp
リンク埋め込みばかりで申し訳ございません、、
いわゆる担当アイドルを推しています!とか、声優さんが出演するライブにいきます!とかをずっとやっているというわけですね。
他にも邦楽ロック、ヒップホップをはじめとしたライブハウスやストリートシーンを中心に栄えた音楽とファッションの文化が好きです。
最近ストラトキャスターを買ったのでジャカジャカ練習しています。
まぁこんな感じでかなりいろんなものを好きな多趣味人間でして、結果的にかなり守備範囲が広くなっている気がします。
アバウトではありますが自分の自己紹介でした。
うつ病になるまで
自己紹介を終えたところでヌルっと本題に入っていきます。
注意として以下のことをあげています。
※このブログは僕の主観500%で話をしています。自分が精神を病んでいた時のかなり偏った思考なども描かれています。
※自分語りなので自己顕示欲がそこそこ発揮されている文章になると思います。
※本当に蛇足の長文です、ちゃんとよむのに20分かからないくらいだと思います。
※このブログには特定の人物やコンテンツを擁護、批評する意図は一切ございません。
※いらすとやが好きなので画像多用しています。
以上のことで不快感を感じてしまうかもしれない方はこのブログを読むのをお控えいただけると幸いです。
それが大丈夫な方はお進みください。
無駄だらけのグダグダ文章の始まり始まり。
こんにちはコロナ禍
2020年初頭。
当時19歳になったばかりの僕は相変わらずアイマスPたのし~~~を続けていました。
まだまだ若いっていうのもあって「コンテンツの最前線を突っ走っていきたい!」だなんて息巻いていたときですね。
ミリオンライブのソーシャルゲームミリシタ(上記HP参照)ではラウンジというコミュニティを作る機能があるんですが、そのラウンジを作ってオタクの輪を広げたりしてました。
実際ミリオンライブでも、この少し前に大団円だった6周年のライブが終わってすぐでしたから、かなり同僚さんたちも活気づいていたのを覚えています。
あとちょうどこの時、一個下のお友達からロックバンドのお庭に関することを聞いたりしてタワレコとかにCDを漁りに行くようにもなったので邦楽ロックシーンに沼り始めた時期でもあります。
仕事の面でも動きがあって、1年目の研修というものが終わってついに本配属というものを迎えました。
本格的に働くということの大変さを身に染みていたところでしたね。
日々いろいろな刺激を受けて、大変なことやしんどいことも増えてきたんですが、それ以上に「これが大人になるってことか...!」と毎日楽しんでいた記憶があります。
平日は仕事で知らないことをたくさん吸収する新入社員として。
休日はそれを忘れて好きなことやりたいことに没頭するオタクとして。
社会人やってるなぁ......でもやっぱり
給料もらえるからオタクとしてもやること増えたな...!
これが日々の原動力だったと思います。
生きるモチベはかなり高い方でした。
そしてちょうどこの時期にiPadProを購入し、デジタルイラストも描き始めるようになります。
いわゆる二次創作っていうのを通してコンテンツの賑わいを作っていきたくて購入に至りました。
昔漫画を読んで真似事でよく絵をかいていたので何かを描くということは大好きでしたので...。
ひなたさんとやきいもの季節🍁🍠 pic.twitter.com/wUek9ZnLZq
— しふぉん‼️ (@e_origin_lum) 2022年10月9日
全然関係ないですが最近描いた絵見てあげてください♡
そんな感じで成人になる年である2020年を迎え、今年もますます楽しいことが待ってるんや!!(人生は冒険や!)と、いい感じに新年を迎えて日々を過ごしていた矢先。
はい。もう説明不要でしょう。
未曾有のパンデミック、コロナ禍のご登場です。
もはやコロナと共生するのが新常識になりつつある昨今でございます。
しかしこの頃はいまブログを読まれている皆様も覚えてらっしゃると思いますが、ほんとに何が起きているのかがわからない状態で日々を過ごすことになりました...。
コロナ禍でいろいろな苦悩を世界中のいろんな人が抱えたと思います。
もちろんそれは僕にとっても例外ではなかったです。
行こうとしていたライブはすべて中止。
仕事も約2ヶ月の操業停止を余儀なくされ。
外にも出れずにひたすら家で何かをする日々が続きます。
いや~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.........................。
ね。
もともとオタクとはいっても結構イベントなどで外に出ることが多かったので、家の中縛りで何かしろといわれても...という感じでした。
外に出ていろんな刺激を受けたりライブを見ることがなによりの生きがいだったので。
まぁ家で一人でなにかするのも嫌いではないんですが、いくらなんでもバランスってものがありますから。
ほんとにすべての予定がやるせなく崩れていって、いろんなことにおいてまぁしょうがないよねと言わざるを得ない毎日を過ごしていました。
仕事への没頭
さて。2020年の初頭に起こったパンデミックが少し落ち着きを見せた夏。
コロナ禍が少しマシになり、仕事が再開したところから僕のメンタルは少しずつ不安定になっていきます。
まずいわゆるコロナショックで国内の企業が全体的に不景気になります。
それは弊社も例に漏れずそうでした。
まぁ経済が完全に停止して1、2ヶ月も会社としての利益を上げられないんだからそうなりますよね。
そしてその反動で、操業が再開してすぐに弊社のとある製品の需要がコロナ禍の影響でとんでもない右肩上がりを見せます。(細かい理由は省きます)
経済ってほんとに情緒不安定ですよね(白目)
この図を見てもらえるとわかりやすいと思うんですが、これ欲しい!!!!!!!(5千兆円フォント)ってなっている人がいればいるほどその商品が品薄になっていくのはなんとなくイメージできると思います。
そしてこの状態になるとどうなるかというと「作れば売れる」というシチュエーションになるんですね。
いや~、営業シミュレーションゲームでそんな状況になったらもうウハウハでしょうね。
ただリアルじゃそんな簡単にはいきません。
実際その製品を顧客が望む数ですべて作れるか作れないかという話になった時、労働基準法に基づいた働き方であったり、人員問題であったり、生産現場の稼働限界などの問題がコンニチハしてくるんですねぇ。
生産業である以上逃れられない問題ばかりです。
さて。
なぜこうも具体的な話をしているかというと、僕が社会人2年目にして応援という形でその高需要製品をつくる生産ラインに半年の異動命令がくだされることになったからです。
...。
これにはWANIMAもびっくりです。(pizza of deathに謝れ)
いやまじでびっくりですよね。(大事なことなので以下略)
「異動くらい社会人じゃよくあることでしょ(笑)」みたいな意見はわかります。
でも自分に異動の話が来たとき、元いた職場に配属されてもうすぐ9ヶ月目を迎えるくらいでした。
ぺーぺーもぺーぺーです。
しかも異動先で扱ってる製品は自分のラインで扱ってる製品とはまったくの別物ときた...。。。
当時は結構頭を抱えました。
「まだ本配属から1年も経過してなくない...?今のラインの仕事全然やらせてもらってないんだけど...??戦力外通告...???」
そんな感じの気分でしたね。
まぁこれについては仕方にゃあ部分もあるんです。
先ほど説明した通り①製品の需要が②会社の想定をはるかに超えた数を示していてそれに対して③生産が追い付いていないという状況下。
いくら機械が発展してきた世の中といっても、その大半を制御し運用するのはまだ人の手で行われることが多いわけでして。
よって自然と人員が足らなくなっていくわけです。
それに異動といっても期限付き。
半年というまぁまぁ長い期間ではありましたがそれが終わればとりあえずは元のラインに戻るよう当時の上司が制約付きで話を進めてくれていたんですね。
それに社会人の長いキャリアを前提にすれば一瞬みたいなものです。少し暴論ですが..。
上司も「まぁいい経験になるとおもうよ」と見送ってくれました。
そんなこんなで始まった期間限定新職場でのお仕事。
ソシャゲ風にドキドキ☆社会人の荒波ガシャ!!くらいポップにしてくれたらよかったのに。(は?)
ん~~~~~~。
まぁ端的に言えばその職場での仕事中は精神的にかなりボコボコにされましたね。
ほぼ毎日心折れてました。
なにがあったか書いてるとそれだけでブログ一個かけそうなくらい結構壮絶な体験をさせてもらいましたワ(当社比)
まず土日固定休みだった日々が終わりを告げました。
自分は土日休みが欲しいという理由がまずあり、いまの会社に入社したのでこれはかなり堪えました。
その時の職場は前述したとおりとても生産負荷が高いのがスタンダートな状態。
具体的には、月曜日から日曜日常に24時間生産ラインが動き続けている状態でないと生産が追い付かない状態だったので、変則的な3交代勤務を始めることになります。
交代勤務に関してはなんかこういうサイト見てください。
週休2日だったのが2週間(交代勤務的には2サイクル)に1回週休1日になり、それを4グループで回す、、、というものです。
これに関しては具体的なスケジュールがないと理解しづらい所もあると思うので土日に休むカレンダーじゃなくなったよという認識だけ持っていただけると幸いです。
そして職場での対人関係での悩みも当然のことながらダメージ食らいました。
まぁ仕事の悩みなんてほとんどがこれでしょうけど。
知らない仕事を平然と振られ、それを知らないと言ったら「いまそんな暇じゃないんだけど」と言われながら指導をされたり、そもそも仕事を教えてもらえなかったり。
品質や精巧さが求められる仕事で、明らかに大丈夫かそれみたいなことをする先輩や派遣社員を目の当たりにしたり。
そして自分の作業ミスで不良製品を大量に流していることを認めない派遣社員の方がいたり...。そのしわ寄せで毎日突発での残業が発生したり............。
一番衝撃的だったのは海外出身の派遣社員さんに平手打ちされたことですかね、、、
彼だけは最後まで話し合いをしても自分のミスを受け入れたり行動の改善をしてくれなかった。いまでも悲しい...
かなりかいつまんで書いていますが、社会人になって経験するそれなりな対人トラブルをこの半年という短期間でほとんど履修してしまったわけです(オタク君みたいな感想じゃん)
そして気づけば2021年...。
成人式を1月に終え、成人になる2月の誕生日を迎え、異動期間満了の3月頭...。
仕事に翻弄されつづけた10代ラストの年でした...(TT)
...。
そしてそして。
異動期間がおわり元の自職場に戻ったところで「そろそろステップアップしようか」と上司から言葉をいただくところから社会人3年目はスタートしました。
そういってぶん投げられるのはいままで知ることがなかった元の職場のほぼすべての業務。
具体的には今自分から見た職場の先輩がやっている業務のすべてを覚えてくれと言われたわけです。
え、どうしちゃったの上司さん?供給する量バグってない??(オタクみたいな以下略)
そして極めつけは「なんかわからないことがあったらその時同じ時間で働いてる先輩に適当にきいてくれ!!」と。
なので自分が出勤している時間にかぶっている先輩(先輩は先輩で別に自分の仕事をしている)に適当に聞いてくれ!というわけです。
........。
ン~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~雑。
そもそも先輩方もその時々で各々のタスクをこなすのに精いっぱいで僕を見る余裕なんてないわけですよ。
交代勤務で動いてる職場だったので、どうしても僕にマンツーマンになって教えてくれる先輩がつけれない状況だったんですね。人足らんので。
そんなノリと勢いでUSJ行く予定決める大学生みたいな感じで言われましてもねぇ。
まだディズニーの方がやる気出るよ。(それは今関係なくない?)
少しくらいは自分で考えろ!とか、知らないことは知っている人に聞いたらいいとか、それを言われたらそれまでなんですが...。
ただそれでも当時の何にも知らない自分にとってはその仕事量はとてもこなせるような量ではなく、それに見合った知識もないので割とどうしようもなかったんです。
言ってしまえば今、目の前で仕事をしている先輩方が何をしているのかもわからない状態です。
設備の管理ひとつにしても、このコントローラーのどのボタンを押せばいいのか。
そもそもこの設備のプログラムの言語を理解しないと何をしているのかわからない、画面の文字が読めないことであったりだとか。(NCと言って伝わる人は伝わると思います)
設備にセットするアタッチメント(あえてわかりやすい表現にしています)の概要と扱い方であったりとか。
リアルタイムで仕事をしている先輩方はそれらを当然のようにやっていますが、当然ながら僕はわからないわけです。
特に設備のトラブル対応を覚えたいときとかは最悪でした...。
先輩方が今何の作業をしているのかわからない分、どこでこの自分がわからない仕事について話しかけたらいいのか。いつだったら邪魔にならないか。
コミュニケーションをする際、そのようにワンクッション挟んでから話を切り出すようにしないと...という思考になってしまいました。
そしてそんな状況が続いていくとどうなるか。
なかなか先輩方に自分から話をかけに行くということが難しくなってしまったんです。
気づいたらわからない仕事をわからないままにしたり、できない仕事を先送りしてしまったり...。
もちろん全くコミュニケーションをとれなかったわけではないです。
それでも、今与えられている学習タスクを通して新しい仕事を自分のものにしていくには全然行動が足りてませんでした。
気づいたら時間だけが経過していき...。
上司が想定していたスケジュールや予定についていくことが全然できず、仕事を覚えるという進捗を全然生み出せないまま日々を過ごしていました。
まぁ厳密には人員不足による穴埋めであったり、その他のスケジュールの問題とかでうまく仕事を覚える時間をとれなかったという事実もありますが。ここでの問題からは話がそれるので...。
そしてうまく仕事が覚えれず、うまくコミュニケーションをとれず、僕はその状況になってしまった自分を責めだし始めました。
だけど自分を痛めつけたところで仕事が覚えれたら苦労なんてしてません。
その現実すらもしんどくなっていきました。
最終的に、僕は職場の方々とコミュニケーションをとる際に自分がどう思われるか、ここまで「仕事を教えてもらう」という行動を起こさなかった自分がどう見えていたかばかりを気にしてしまうようになりました。
そんな自分を多分この人たちは煙たく思っている。仕事がまともにできないグズな新人だと思っている。
そんな人たちと一緒に仕事するのが怖い。そしてこんなになるまで行動を起こせなかった自分が情けない。
自分の曲解のすえたどり着いたこの考えに、ずっととらわれ続けることになりました。
...そもそも他人の考えていることなんてわからないし変えようがないんだからそこに固執しても時間の無駄なんですけどね。
ただこれがうつ病、というか精神を病んでしまう人の最たる特徴なんですが、うつ状態にシフトしていく人に自分にとっての問題を冷静に分析する余裕なんてどこにもないんです。
自分も休職を通してストレスが少ない生活を9ヵ月つづけて、ようやく最近こうやって自分におこっていたこととかを俯瞰できるようになりました。
当時の自分には自分や社会を責める思考と行動しか、頭になかったです。
そんな僕でしたから。
①職場の先輩、上司との会話は怖いから避ける。
②仕事の先送りや、放置。そこから失敗、迷惑をかけることの繰り返し。
③そして情けないと思う自責と一緒にさらに職場の人と関わるのが怖くなる...。
最悪の無限ループの始まりです。
youtu.be無限ループって怖くね。
そして気づいたときにはしんどい思いをさせた(と思い込んでいた)すべての人へ憎しみや怒りを覚え始めます。
「どうして自分ばかり評価するんだ」
「新人だからって使いやすいだけだろ」
「やさしくないひとばかりなんだ、この社会は」
実際に当時の自分が考えていたことです。
ひとりよがりですね~~~~~~~~~~~~~。
キショすぎます。
そんな感じでぐっだぐだの社会人の生活を2021年から休職にいいたるまでずっと続けていました。
よくもまぁ長いこと終わった考えを抱いてましたねぇ.........。
これくらいの時間、自分の思考が偏ればそりゃ精神状態はおかしくなるのも無理はない。まぁよく頑張ったよそんな状況で...。
ただなんでそんな長い期間一応やっていけたのか。
それには趣味に取り組む自分が、逆にそのフラストレーションであったりゆがんだ認知をぶつけては主張し、なんとか自己肯定感を保っていたからだと考えています。
それでは次にうつにいたるまでの僕を、今度はアイマスPとして生きていた側面から話していきます。
趣味、アイマスPとしての没頭
ここまで長々と2021年の仕事の話を書き連ねてきたのですが、また話は少し戻りまして2020年7月ごろからこの章は始まります。
行ったり来たりですみません。
コロナ禍というものが始まって我々オタクの業界でも様々なシーンでいろんなものの変革がすごいスピードで進んでいきました。
もちろん僕の追うミリオンライブというコンテンツも、コロナ禍に際してコンテンツの空気感がかなり変わっていったのを鮮明に覚えています。
まず、ミリオンライブといえばリアルライブの熱量とパフォーマンスで多くのプロデューサーの層を獲得している主な要因だと、僕は今でも思っています。
ミリオンのライブを見たことがないという方もいらっしゃると思うのでそういった方にはイメージがつきづらいと思うのですが、このコンテンツは本当にリアルライブとゲームや楽曲などのクロスオーバーのパワーがものすごいんです。
ゲームや楽曲などのストーリーであったり文脈、メッセージ性などがリアルライブを通してさらに意味を増していくような感覚がものすごくあります。
さらに演者さんたちも本当にすごい方ばかりでして...。
特定の方を上げると思想が強めのブログになってしまうので割愛しておきますが、ライブパフォーマンスがすごい方、演技の幅がとんでもなく広い方、作品に対する想いなどがものすごく熱い方、マジで歌が上手い方など、もうオタクが好きになるべくしてなる演者さんばかりなんですよ。バレッバレぢゃん☆
実際僕もこのコンテンツにはゲームや音楽もそうですがリアルでのライブを見てから足を踏み入れています。
そのくらい、ミリオンライブというコンテンツにとってリアルでのライブはとても大きな力になっていましたし、ファンである僕らプロデューサーも年内に何度か行われるリアルライブを生きる糧に頑張っていた方も少なくないんじゃないかなと思います。
...ここまで急に饒舌になって喋っているので、コロナ禍に際してこのリアルライブの予定がすべて吹き飛んだ時のお通夜感と言ったら察するに余るものというのも感じ取っていただけるでしょうか。
なんかい泣くねん。
いや少しどころじゃにゃあが。
まぁ原動力になった部分もありました。
コロナ禍でもやれることを模索してくれる運営のみなさんの苦労はもうお察しいたしますが、それでもミリオンライブというコンテンツの火を絶やさないように、やれることが最小限でもコンテンツの賑わいを保とうとしてくれたことには、普通に勇気をもらえました。
特に中止になった7周年ライブの代わりに放送されたこちらの生配信は”てづくりというミリオンライブにとって重要なファクターを感じさせつつ当時のやれることとしての精一杯をみせてくれた気がしていて、今でも思い出に残る生配信です。
なんせ趣味って、いわば自分を楽しくさせるためのツールなわけじゃないですか。
自分が好きだからこそ取り組むものを趣味だと僕は思います。
実際自分も当時はほんとに趣味を楽しんでいて、ミリオンライブのことが大好きで仕方ない、ミリオンライブ無しで生きていくのは本気で考えられないと思っていました。
2005-syfon-no-tawagoto.hatenablog.com
当時担当のソロ曲についてこんな怪文書書くくらいには好きでした。(今も担当のこと大好きですが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
なのでむしろこんな状態なんだからおれがミリオンライブのオタクとしてコンテンツを引っ張ていかなきゃな!!!!くらいのクソデカ主語でアイマスPを続ける覚悟をしたりしていました。
ミリオンライブが好きという原動力をエネルギーにコロナ禍を乗り切ってやる!
そのくらい意気揚々と息巻いていたわけです。
そして少なからず、その中には前項まで書いていた仕事からの逃避やその鬱憤の発散も混じっていたなと。今となって思うことです。
いや、現実がつらい(あくまで主観)のだから趣味に逃げるのは自然な流れではありますが。
銀の匙の校長先生もこう言ってます。
まぁ日々の鬱憤をこの趣味の時間で果たせているのなら何の問題もないと思います。
「あー楽しかった!リフレッシュできた!明日からまた仕事、つらいけどがんばろ!」
そうなれたら理想ですね。
えぇ。そうなれていたらこんなブログは書いてません。(2回目)
前項でもお話させてただいた通り、すでに僕の認知は仕事や普段の生活を通して完全にねじ曲がっていてですね。
アイマスPとして、オタクとして、あるべき姿でないといけないと。
このコンテンツを大好きって言い張るために、最前線を張っているようなオタクでないといけないと。
そしてアイマスだけじゃない。仕事で無理ならプライベートのすべてで理想の姿でないといけないと。
そう、考えて自分の好きなものを触っていたような気がします。
何が何でも周りにあいつすげえ!!って思われたくて、勝手に想像したすごいオタクの自分を目指して趣味に取り組んでいたんですね。
もういいよ。
自分はもう長いことこの無数の情報が飛び交うツイッターランドの住民をやっています。病気です。
そのネットの世界のオタクにも自分の価値観を当てはめていたものですから、対人でのストレスを抱えることもめちゃくちゃあったんですね。
そりゃそうですよ。自分のオタクとしての信念が合わない人たちにはすべて怪訝な顔をしていたわけですから...。
「アイマスPとしてこの歴史を知らないのはありえない」
「このオタクは考えが浅い。本当に好きならそんな感想はでないはずだ」
「なんでエロ絵描く?????性欲のはけ口としてしかアイドルを見れないのか????」
...などと。実際僕がツイッターをしていてオタクに勝手に抱いていた感情です。
..............いや正直エロ絵は今も苦手で大地雷ですが。
仕事では周りの評価を気にして行動を起こせないグズな新人。(口だけ悪い)
趣味ではめちゃくちゃ思想強めの強火めんどくさアイマスP。(口も悪い)
う~ん、生きる価値ないね?(それはほんとにそう)(ほんとに?)
いやまぁ、こだわりと言ったらこだわりにはなるのかもしれません。
実際あの当時はコロナ禍でライブもなくなり、ミリオンライブというコンテンツにお熱だったオタクがだんだんと姿を消していった背景があります。
しかもその1年後にはウマ娘というコンテンツの本格化であったりV業界の拡大であったりと新たなコンテンツの台頭。
それまでミリオンの話をしていたオタクが急に他コンテンツの話をたくさんするようになったり。
そんなオタクたちの中でそれでもミリオンライブが好きだから!と言い続けたのは確かに強いこだわりがあったからだと思います。
他コンテンツに流れていったオタクを批判しているわけではありません。
ユーザーが面白いコンテンツを求めていくのは自然なことですし、オタクとしてあるべき姿だと思います。
「昔からこの作品だけが好きで...」なんて人、いても本当に少数だと思いますし。
...ところでらき☆すた11巻はまだですか?()
オタクとはいってもみんな人間です。十人十色。
それぞれがそれぞれの好きなことをしている。ただそれだけなんですよ。
さて、当時のうつ状態に移行しつづけているしふぉんボーイにここまでの思考ができたかといわれると残念ながらそんなことはありません。
はっきり言ってそれらのオタク全員しょーもないとか思ってました。
おぉおぉ思想が強いこと強いこと。
しかも速攻で矛盾するじゃん。
自虐である。
同担拒否の概念もこうやって生まれるのかなぁとか思っちゃった。
ある種の「あのオタクが言っていることが意味わからなくて許せない!」みたいなね。
そも、オタクやプロデューサーにあるべき姿なんてないのにね。
ただその異常性には割かし要所要所で何となく違和感に気づいたりもしたんです。
わかりやすいのはガシャやランキング報酬に担当が来たときにそれを引かなきゃいけない、走らなきゃいけないという義務感に駆られたときでしょうか。
大体この手のソシャゲにはランキングというわかりやすい表示でどれだけそのイベントを頑張ったかみたいな指標となる要素があったりします。
経験された方もおられると思いますが、上位になればなるほどお金と時間を使わなければいけません。はっきり言ってめちゃくちゃしんどいです。
自分も例に漏れずこちらの諸々には参加したり、ガシャは天井がありますから最悪お金で解決できるじゃんとか思いながら取り組んでいました。
だけど、大体その行動の裏には「これをしなきゃプロデューサーとして胸を張れない」や「周りのオタクはみんな頑張ってる。俺もなめられたくない」みたいな変な感情が渦巻いていたわけですね。
わりとこの話はアイマスPをしているとちょくちょく耳に挟む話な気がします。
担当のイベントだから走らなきゃ...って無理にやらなくてもいいとか。
担当のガシャなんだから引かなきゃいけない...と思って重い足取りで財布を開くのは違うとか。
まぁまさにその考えに反しての反応だったんかなぁ。って思っています。
実際ソシャゲのガシャで生活難になりそうな金欠も体験しましたし、イベランによってプライベートでの時間っていうのを割いたり、予定をつぶしたりもしました。
アイマスだけが仕事以外での時間の過ごし方だったらまぁそれでもいいかもしれないですが、僕には前述したとおりアイマス以外にも好きなものがいろいろあります。
もちろん、いわゆる2次元のオタクが全くいないようなコンテンツを触っているときもありますし、非オタの友人にもありがたいことにかなり恵まれています。
そんな中でなんで今アイマスを触らないといけないんだろうという冷静な気づきや、アイマスPとして自分の思うあるべき姿っていうのに至れないという葛藤が僕をかなり苦しめました。
理想と現実のギャップに直面した時、そこに至れない自分に嫌気がさしていたような。
そんな感じです。
結果そこに楽しいや好きという感情よりも、義務感や周囲を気にして勝手にヒエラルキーを感じていた自分だけが残ってました。
オタクとしてヒエラルキーを感じれるなんて、逆に大したもんですけどね...w
そしてそのフラストレーションがピークに達したのが、ミリオンライブの7周年のライブが終わった直後でした。
個人的に大好きな周年ライブのダイジェストです。まぁ基本的に全部大好きですけど...。
この7thライブというのが、2020年コロナ禍で予定ごと吹き飛んでしまったライブでして。
それが2021年にやり直しでもないですけど、「一年越しに開催するよ!」という旨でもう一度予定されていた会場で行われたんですね。
そして前述したとおり、そのライブまでの間(2020年から2021年のライブまでの間)はこういう大型ライブの機会は与えられず、コロナ禍もありSNSなどでのユーザーの賑わいは一気に降下していきました。
そんな中、僕自身はミリオンライブが大好きという熱を貫く姿こそが美しいと、当時は本気で考えて。そしてその長い間本気でミリオンライブと向き合いました。
そこに関しては一切嘘はないですし、今でも胸を張ってミリオンライブが大好きだった1年半といえます。
ただ、その分燃え尽き感もほんとにすごくて。
このライブはとても心に残るものになりましたし、一生モノの想い出にはなりましたが、このピーク時のメンタリティに至るには、相当な気力がいたのも事実でした。
ミリオンライブを追うことに関して義務感を感じていた事実と、なにくそと思ってなるべきと思う姿になろうとしている自分。
どっちも同じ自分で、そのどっちも認められない矛盾っていうのが僕の首を自分で絞めていました。
2005-syfon-no-tawagoto.hatenablog.com
このブログは実際7thライブが終わったあと、自筆させていただいた感想ブログです。
こんなレポ絵も描いたりしていました。
でも今思い返せば、好きという感情はあれどこれらの発信は「しなきゃいけない」と全部全部義務感でやっていた気がします。
なぜならそれをすることがミリオンPとしてあるべき姿だ、とか自分の考えを発信しなきゃ自分の思うオタクにはなれないと考えていたからです。
7thにいたるまで、自分がミリオンPとして好きだということを貫いていかなきゃいけない。
だけど事実として、ミリオンライブだけに時間を費やすのは本当にしんどい。
そんな勝手な思い込みや、悩みや、見えない敵と戦っているような状態に自分からなっていってしまったんです。
結果として、先のブログは2日目の感想を書けず、レポ絵も途中で描くのをやめてしまいました。
最終的にもうこれ以上続けるのは無理だと、折れてしまったんです。
そしてその弱さがにじみ出た瞬間、一気に自責感情が襲ってきました。
仕事での悩みも相まって「またできなかった...」と、自分を卑下するモードに入ってしまいます。
なぜだろう、いつからかアイマスを追うのが、好きだからこそやる二次創作や、考えを発信するのが本当にしんどくなってしまったんですね。
歪みに歪んだ思考は、自分の好きなものにすら影響を与えてきたんです。
こんなかわいい子たちを見て純粋に「ああかわいいなぁ。」って言えなくなっていってしまったんです。
「もっとこの子たちを理解して、プロデューサーとして考えを発信しなきゃ」と、当時の僕なら思ってます。
プロデューサーという長いオタクの文化に身を投じている自分に対して、何か重いものをずっと背負わせてきた気がします。
実際、周りのプロデューサーたちは本当に大好きで追っているんだなと思う方ばかりで。
これだけ長い歴史を持つアイマスだからこそ、そういう方を見てリスペクトする機会はかなり多かったです。好きというオタクの意志を貫ける一人の人間として。
でも自分は、その理想が高すぎたのかもしれないです。
それに仕事での間違った感情の入れ方や、トラブルもたくさん抱えていましたし、生きるのがとてもヘタクソだった気がします。
結果仕事でも趣味でも無限にストレスを抱え続けることになりました。
うつ病発症
そして2022年。
仕事中にそんな逃避行動や独りよがりな行動をしていた僕。
しびれを切らした先輩からキツめの指導が入りました。
「余裕ぶっこいてるから、こんな仕事もおぼえてないんでしょ?」と。
...。
当時の自分にはその言葉で「あぁ、やっぱ嫌われていたんだな」という確信につながってしまったんです。
それがわかった途端、後悔とか、つらさとか、怒りとか憎しみとかすべてが僕の脳内を埋め尽くしました。
もうそこにまともな判断をする自分はいなかったと思います。
その日の仕事は涙と過呼吸だらけで全く何も手が付かず。
先輩からの言葉や家族からの言葉も全部耳に入ってきませんでした。
家に帰ってベッドに倒れこみ。
現実から逃げるように号泣しながら眠りました。
...。
そのまま翌日以降、起きて生活するというのがしばらく困難になりました。
2022年1月18日。
夏休みよりも長い、人生で初めての長い長い休暇をいただくことになりました。
まったく生きる気力がなくなったこの休職し始めの期間を、多分僕は一生忘れることはないと思います。
正真正銘のどん底でした。
もうとにかく、生きるのがめんどくさかったです。
なんでこんな真面目に生きなきゃいけないんだとか。
なんでこんな必死にならないといけないんだとか。
なにより、なんで自分は、こんなに生きるのがヘタクソなんだろうとか。
気づいたら21歳。2月の誕生日を迎えていたんです。
成人したら大人になると思ってんだけどな。
20代、うつになって休職するところから始まるなんてほんとにプランになかったことですから。
もちろん、死のうとしました。
もっとも人に迷惑をかけない自殺方法を検索して、本を探したりしてできるだけ家族に負担をかけないようにとか思ってましたね。
死ぬ時点で迷惑も何もないだろと考えなくてもわかりますが。
そのくらい自責観念、自殺念慮にとらわれていました。
正常な判断ができなくなる病気っていうのを、肌で感じていたような気がします。
ひとつの気づき
さて。
ここまで長々と自分史の解説にお付き合いいただきありがとうございました。
ここからは休職中に僕がいかにして元気になったのか書いていきます。
もう少しで核心にいいたるのでもうちょいお付き合いください。
休職を始めて仕事から離れていると、やっぱり自分に掛かるストレスが少ない状態が続くので仕事に関する悩みは少なくなっていきました。
ただうつ状態になっているひとにありがちなのが「仕事を休んでしまって申し訳ない」とか「家族に迷惑をかけてしまって、こんな社会人生きる価値がない」と自分を責めるという状態になってしまうというケース。
これは僕もまさにそうで、休職初めのころは正直全然自責が止まることはなかったです。
生き地獄化していました。
もうTwitterの裏垢に日々恨みつらみ憎しみを書きなぐっていた記憶があります。
そこを見ていた方々、ほんとすまんかった。
その末の自殺未遂だったかなと思います。
前述したとおり、死のうとしたのは事実です。縄を持って首吊ろうってとこまで行きました。
でも結局それすらも怖くて、死にきれない自分がいるのにも情けなく感じて...
ただその時、死ぬことを失敗して一つ分かったことがあったんです。
「あぁ。自分はそれすらもできない弱者なんだな」と。
これに気づいたときは結構衝撃的でした。
そも、仕事でも趣味でも共通して言えるのは理想像である自分がいたことなんです。
そして今現実でものごとを進めている自分を、実在していない理想の自分が俯瞰で見ていてそのなかで気づいた現実とのギャップというのが自分を苦しめていた最たるファクターだったことになんとなく気づいたんです。
仕事ができないと思って自責していた自分。
理想の姿になれないと葛藤していた自分。
これはどちらも、ならなきゃいけないと思い込んでいた自分がいたからこそ悩んでいたことだと思ったんです。
この場合は「死んだ方が楽になれると思っている自分」になれなかったという感じですね。生きることが大事だと思っている今の自分が読むと激しく矛盾を感じますが。
そして、理想になり切れていない現実の自分というのに自信を持てなかったことがすべての思考のズレの始まりだったと感じました。
その予感っていうのが、考えれば考えるほど過去の自分に当てはまっていくんですね。
「なんであのとき、先輩に話を聞かず仕事から逃げようとしたんだろう?」
→それができない自分に気づいてて、それを考えたくなかったから。
「なんであのとき、あのオタクに対してイラっとしたんだろう?」
→自分の思うオタクとしての思考を持っていないことが恥ずかしいと思わないんだろうかと勝手に思想を押し付けて考えていたから。
「なんで生きるのがめんどくさかったんだろう?」
→自分の思う理想の高い生き方でないといけないと思い込んでいたから。
他人の評価や考えていたことが気になりすぎていたのもそうで、結局自分の思う完ぺきな姿であったり、すべてがスマートにこなせていないということに自分ではなんとなく気づいていて、それをよく思われないのではと思い込んで怯えていただけだと思います。
自信がもてないから周りの評価が気になるし、何を考えているか怖いんです。
自分が弱くて、いたらないのに、それに気づくのが嫌だったんです。
少し昔の話をします。
自分は結構老若男女問わずだれとでも壁なくコミュニケーションすることに関しては少し自信がありました。あくまで過去形です。
これには多分幼少期ボーイスカウトをやっていた経験であったり、中3からオタクのライブなどに足しげく通っていく中で交友関係を自分から広めていき、今よりも若い子供のころからいろんな年齢層、いろんなお国の方々と時間を過ごした中で培ったコミュ力だと自負しています。
実際、仕事を始めても上司から「しふぉんくんは話をするとき落ち着いている」「若いのにこれだけ会話の引き出しがあるのはすごい」とお褒めいただくことがかなり多かったです。ありがたい。
ただその中で対人トラブルも当然ありました。
それこそ仕事の項目で最初に話させてもらった異動先での職場の経験なんてまさにそうです。
それ以外、プライベートでもいろんな人と関わった分、数々の交友関係をもち、それを手放したり、失ったりしてきたのも事実です。
もちろん、自分の行動や発言が問題で迷惑をかけてしまったこともたくさんあります。
というかそればっかりです。
いまここでいうべきではないと思いますが本当に反省すべきことは山ほどありますし、正直顔を見せれない人たちも山ほどいます。
そして僕はこの人生経験の中で「相手に迷惑をかけたこと」というのにずっと引け目を感じていました。
失敗してしまった気持ち、申し訳ないことをした気持ちというのがずっとずーーーーーっと渦巻いていて、人と関係性を築く際には相手が不快にならないように、自分が嫌われないようにと、そればかりに固執して大人になりました。
...そもそもの問題は自分が弱いところや苦手と思うことを認めれず、それをかばって生きてきたからこういう考えにとらわれたというそもそものゆがんだ思考が原因なんですけどね。
自分が行動を起こすべきタイミングで行動を起こせなかったり、過去の失敗をひきづって次の行動を起こせなかったりと仕事の際苦労したと前述させていただきました。
結局それも、自分が仕事ができない、知らないことをわかっているのにそれを認めたくなかった自分がいたからなのかなぁとか。
実際に当時の自分は、必要以上に高い理想の新人であるべきと思い込んで仕事に臨んでいた気がします。オタクとしても、周りのオタクに一目を置かれるような、そんな人間を目指していたと思います。
そうじゃないと、この社会では生きていく価値なんかない。
いい人とか、こいつやるなぁとおもわれないことがものすごく、怖い。
そうやって本気で考えていたような気がします。
快調の兆し
さて、ここでぼくは一つ決断をしました。
自分が弱いと受け入れること。
それはいままでの生き方を諦めることです。
大体、物事はなんでも理想通りにはいきません。
子供の頃描いてた夢がみんな叶うのなら、今頃世界中では仮面ライダーやプリキュアが跋扈し、宇宙飛行士や頭のいい人がこの世の謎をすべて解き明かしているはずです。
今言ったことはものすごく極端な例ですが、僕も頭の中に描いている自分になれるわけがないとあきらめることにしました。
いままでそんなような言葉は頭でわかっていたつもりでしたが、結局わかってないから今こうやって決断しているんだと思います。
全部できないから偉くないとか、今の現状に満足している様じゃ駄目だとか、怖いけど諦めることにしました。
今の自分が他人にどう見られていて、どう感じられているのかも、怖いけど考えることをやめました。
そう考えつくと、それが動機となって至っていた不合理な行動も自然ととらなくなっていくようになりました。(まだパーフェクトではないですが)
優しさも立ち位置が変われば悪者になってしまう
SUPER BEAVER/人間より
僕にとって人生を大きく変えてくれたバンドSUPER BEAVERの楽曲”人間”より歌詞を引用させていただきました。
子供のころから長いこと、失敗や間違えることで他人や自分以外の人が悲しくなるのをしんどく思っていました。それは今の自分も変わりません。
ただ、自分だってそういうことをきっかけにいろんな人に迷惑をかけてきたし、いろんな失敗もしてきました。そのたびに必要以上に反省して自分を責める自分もいました。
いいやつすぎるんですよ、多分。
でも、それが原因で自分の思考をねじまげて。
そうやって人にはいい人として映ってなくちゃいけないとか、このまれる人としてやっていかなくちゃいけないとか、勝手に理想を跳ね上げていて。
結果、必要以上に他人を気にして生きて僕はうつ病になりました。
気づいたら理想像を押し付ける人間になってました。
あぁ、書いてて思いました。
僕はその程度の人間なんです。
欠点だらけだし、それを隠して生きようとする狡猾さ、無理に強がっていいやつを演じようとするピエロなんですよ。
僕、しふぉんという男は思った以上に何もできない男だったわけです。
ただそれを感じた時、そんな自分を受け入れることは存外簡単にできました。
それはたぶんなんとなくその弱さに気づいてて、時にその弱さに折れていた自分がいたからだと思うんです。
実際仕事を休職する選択肢もとれましたし、2022年は正直しんどくてアイドルマスターを追うこともしていませんでした。
なにより、僕はあの時死ぬことが怖くて自殺を諦めることができました。
自分は弱くて、まだまだ理想の自分になるにはいろいろ至らない。
でも、それに気づいたらあとは這い上がるだけじゃんと思えたんです。
そもそもこんなブログを書いているので説得力皆無かもしれませんが、実は僕めちゃくちゃ元気な自己肯定感モリモリ太郎なんですよ。(???)
いや、まぁその元気でほんとは自信のない自分を隠してると言われたらそれまでですけど...w
ただ、ある意味生きていくうえで自分の諦めがつくと結構生きやすくなっていきました。
その決心が僕にとっての快調の兆しになったわけです。
うつ病を経験して
時間はかかりましたが、その気づきを得てから約半年。
自分の中でいろいろ折り合いをつけていく中で、主治医からGOサインをいただき現在復職にむけて社会復帰の研修を受けている最中です。(福利厚生の一環らしい、さすがでかい会社...)
いまのぼくは何かなさなくてはいけない事象があると、その時の全力を出しきり、それで満足することを大事にする意識が強くなりました。
もちろん、無理にならない現実的な目標意識や理想をたてるのは自分にとっていいことなのでそれは続けています。
ただそこに、他人の意思を深読みしすぎたり、周囲の反応を気にするという自分の思考の癖がでてきたら、気づいたら直すようにしています。
そういった自分の中で考えをゆがめてしまう思考の癖や、このブログで書き連ねた自分の分析も最近はできるようになってきました。
それに、いままで自分が精一杯頑張ってきた事実もちゃんと残っているんです。
仕事も新人ながら大事なタスクを任されるくらいの評価をいただいてました。
趣味でも、イラストやブログなどの発信は本気で好きだからやっていたものですし、自分の愛をすべて詰め込んでいるものばかりです。
それは嘘をつかない自分の自信です。
そういった成功も失敗も。
たくさんの事実をちゃんと自分の中で飲み込めるようになったのが、今回のうつ病という病気を経験しての一番の収穫だったと思っています。
正直、このブログもここまで書いていくなかで気づいたり、考えが偏ったりするのを何回も繰り返しました。そのたび何回も書き直して、こうやって発信に至ってます。
そうやって一つのことを頑張れる今の自分を喜ぶ方が、よっぽど楽しいんじゃないかなって今は本気で思います。
それは何でもいいと思います。
僕の場合、病気がひどいときは朝起きて家族に顔を見せることが一番の仕事だと思ってましたねw
それで家族が安心してくれると言ってくれたので、僕はその行為を頑張ってこなしてました。
実際、日々生きる元気を取り戻していったのはそういった家族の協力もあってのことです。
そしてTwitterがきっかけで仲良くなったフォロワーの友人や、リアルでの古くからの親友たちにも、自分がいるコミュニティを作ってくれたこと、単純に仲良くしてくれたことに本当に助けられたし、生きる意味を見出せました。
あれだけ怖がっていた他人でしたが、実際周りを見てるとこうやって自分を支えてくれる人ばかりなんですよ。
僕はそこに何よりの感謝をして、ここ最近は生きることができています。
そういったそもそもの当たり前と思っていたことにひとつひとつ喜べて感謝できるようになったのだから、うつ病という経験は僕の中では本当にプラスな経験として活きています。
もちろん、過去の失敗の後悔やこれからの心配なんて今もないと言ったらうそになります。
でもそういった弱さや悩み事を受容できるようになって、ほんとに回復したといえるような気がするんです。
そういうゴールが見えただけでも、僕は前を向けている自信になります。
意外と人生は、面白いのかもしれないです。
まとめ
ここまで長々と、ほんとーーーーーーーーに長々とお付き合いいただきありがとうございました。
さて、ここまで書いていて思うのですが本当にろくでもない男として今まで生きてきたんだなと反省しています(涙)
休職してからは仕事が原因で鬱になったんだよなぁとかずっとおもっていたんですけど、このブログにも書かせてもらった通り意外と趣味の部分でも自分にダメージを負わせていたいたんだなと、気づいたときには相当落ち込みましたね()
ただそんな弱さにも気づけたのは、やっぱり今後の人生を生きていく中で糧になるんじゃないかなと思っております。
うつ病という病気は日々生活していく中で知らない間に自分の中での物事のとらえ方が歪んだり、考え方が偏ったりしていくうちに、それがだんだん自分の精神状態をおかしくしてしまう病気だったりします。(もちろん一概に全部そうとは言い切れませんが)
これには幼少期のころから今に至るまでの人生で起こったことに対して自分がどう考えていたか、というのが深く関わっているんじゃないかと考えています。
人間だれしもなんか人生の節々で鮮明に覚えていることやこう感じたなぁって思うようなことあると思うんです。
だいたいその辺を一口に人生において刺激、ストレスを感じた思い出として考えるとイメージつきやすいかなと思います。
そのなかで偏ってしまった思考の癖などが、日々のストレスを自分にとって大きい負荷として落とし込んでしまっているように思いました。
僕がそうであったみたいに、知らないうちに自分の思考の癖とかっていうのは生きていく中で結構変わっていってます。
そんな自分を俯瞰して「こうとらえれるよね」とか「こうみえてたかもね」みたいに考えれるようになったら、少しは楽になることも少なくないです。
僕が思い悩んでいたことはすべてこのブログに書きなぐらせてもらいましたが、そうじゃない切り口で悩んでいる方もこの考え方っていうのはできると意外と楽になれると思うので試してみてください(急に上からじゃん)
他にもこのブログには書ききれないほど様々なことを感じたこの2022年の休職期間。
それらを大事にできるよう、精一杯生きてやりたいです。
僕はこの経験を機に命という生きる上で最も大切な仕事に全力を尽くします。
僕の背中をたくさん押してくれた人たち。
救ってくれたものたち。
愛してくれる人たち。
同じくらい愛し返すために、僕が生きる意味をそこに見出すために。
大げさですこしイタくてみてられないくらいがカッコいいと僕は思ってるので。
アイドルマスター、ロックバンド、それ以外の大好きなものたちをこれからも愛し続けます。
それに気づけたんだから、うつ病の経験は俺にとってプラスです。
このブログを読んで、少しでも共感いただけた方は今日からあなたが頑張ってみてください。真面目に生きていいと思います。
クサいな、痛いなって思った方は、多分それがあなたの正義だと思います。だいじにしてください。
というわけで、21歳のアイマスPがうつ病を通して感じたことのレポートブログでした。(言い方)
少しでもこうやって生きてきたオタクがいたということが響いていてくれたらうれしいです。
長尺でしたが、お付き合いいただきありがとうございました!
ここまでよんでくれてありがとうねぇ🍎